三宮の地名にもなった由緒ある神社でビルの合間に鎮座している。いまでこそかなりの賑わいを見せている三宮だが、明治以前は30、40軒ほどの家しかない寒村であったとは驚きである。神戸港の開港により発展を遂げたわけであるが、そのぶん三宮神社の神域は次第に縮小され、現在の姿にまでなってしまった…。
しかし地元住民や商売人に愛されている神社らしく、戦火や震災などの災害の度にたくましく復興している。祭神は水の神である湍津姫命(たきつひめのみこと)で、一応生田神社の摂社という扱いになっている。三宮に来たら生田神社も良いがこちらの神社にも是非立ち寄っていただきたい。
祭神は稚日女尊(わかひるめのみこと)で、玉津島神社と同様の祭神である。境内末社14社とかなりの規模の大社であり、上記の「三宮神社」も生田神社の末社扱いになっている。また延喜式には、各地より集まった稲を使い、生田神社の境内で神職が酒造りをして、国賓として朝鮮半島からの要人を迎えた際に振る舞ったとあり、灘の酒造りの起源とも。
楽しみ方は人それぞれかと思うが当社の狛犬めぐりはかなり楽しい。拝殿前の狛犬の筋骨隆々ぶり、蛭子社のウサギのような耳とドラゴンのような角を持った狛犬など…摂社も多いので是非ひとつひとつ見ていくのも面白いかもしれない。
仲哀天皇9年(200年)、神功皇后が三韓征伐より帰還した時、神功皇后への神託により住吉三神を祀ったのに始まる。住吉三神は海の神様である。本殿四宮の独特の配置は、まるで海原を往く大船団の配置のようであるとも言われている。
建立の経緯や政治的重要性は言わずもがななのでここでは説明しないが、実は隠れた見どころとして圧倒的な数と大きさを誇る「石燈籠」は、何と600基!海運にゆかりのある全国各地の商売人が競って燈籠を奉納したのだ。もちろん神への寄進が第一であったが、今でいう「広告」の要素も含んでいたらしい。
この燈籠を眺めていると、江戸時代の樽廻船の組合、干鰯(ほしか)業者組合…その他様々な商売人の名前が見られる。ひょっとすると、燈籠の配置及び大きさを調べていくと、当時の経済の勢力図が浮かびあがってくるのでは…?と楽しい想像が膨らむのである。
またこの燈籠は、現在の社域からもはみ出した敷地にも現存しており、前を通る路面電車・阪堺線とのレトロなコラボを我々に見せてくれる。
●拝殿・本殿 ●摂社群 ●楠君社
●狛犬その@ ●狛犬そのA ●哀愁の狛犬 ●ズラリと並ぶ燈籠
●燈籠と路面電車・阪堺線 ●干鰯(ほしか)業者の石燈籠
大阪の福島区は、淀川(現在の旧淀川)の河口に位置し、古くより瀬戸内海へ向かう船の出発地として使われてきた。現在の福島はビジネス街、ちょっとおしゃれな隠れ家的料理店が並ぶ路地、最近では高層マンションの建設ラッシュなど様々な顔があるが、商店街なども充実していて下町の風情もたっぷり残っている。そんな街のど真ん中にあるのが福島天満宮である。907年の創建で祭神は菅原道真。
何よりの見どころなのは、俗との共存度合い…とでも言おうか。レトロな喫茶店の横からちょこんと覗く狛犬はなかなかの風情だし、すぐ横の裏路地には赤ちょうちんや立ち呑み屋が連なっている。神社の裏門もどことなく繁華街の勝手口?のような趣だ。
しかし中に入ると一変、外の俗っぽさとは隔絶された意外にも静かな空間が広がる。ご神木も立派なものだ。しかしあまり緊張感がある雰囲気ではないので、たまたま酔客が境内に紛れ込んでしまっても、あまり咎められないような気がするおおらかな神社である。
高取山は長田区の中北西部に位置する標高328.8M。1時間あまりの気軽な登山コースなため多くの登山客で賑わう。その頂上に位置するのが高取神社である。伝説によると神功皇后の創建とされているからかなり古い神社である事は間違いなく、その信仰も大変に厚い事がこの場に立つと伝わってくるほどである。
この神社、多いのは登山客だけではない。その信仰の厚さゆえ、神様の数が半端ではないのである。別名「高取稲荷大神」と言われる事からもわかるように、お稲荷さんに関連する摂社・末社・祠・石碑の数が膨大で、その数は何と300余柱。雰囲気もかなり独特で、原始的かつカオスな香りが漂っている(気がする)。おそらく常時メンテナンス出来ないために、木製の祠の代わりに石祠などが多く用いられており、それがそういう雰囲気を醸し出すのではないだろうか…とは勝手な想像である。こっそりと無許可で祠を据え付けてきても、誰も気が付かないほどの数であり、見応え充分である。
そして何より山頂に位置するだけあって景色が素晴らしい。神戸の海や町並みを一望する事ができ、登山で疲れた体が一気にこの景色で回復するのである。
ところで当神社のHPは非常にまめに更新されていて、ありがたい事に内容も充実しているが、全て1ページの中で完結している辺りがとても面白い。なかなかに風情のあるHPです。
大鳥大社は日本武尊が東国平定の帰路の途中に亡くなり、その魂が白鳥となって最後に舞い降りた地とされている。史実としては、中臣氏の一族である大鳥連(おおとりのむらじ)が天児屋根命を祀った事に始まるという。大阪市内から阪和線・鳳駅までの車窓には仁徳天皇陵をはじめとする百舌鳥古墳群が見え、まるで巨大な森が住宅地に点在しているかのようである。
当神社の本殿はその姿を容易に見る事が出来ないが、「大鳥造」という出雲造と住吉造の時代の、ちょうど移行期に当たる時代の建築様式らしい。隙間から覗いてみたが、出雲大社にかなり似た様式である事が分る。どことなく素朴な雰囲気を備えている。それにしても大阪は都会な割にスケールの大きな遺跡や神社や古墳が多い…これらがなかったら開発しつくされて、緑が一切ない都市になってしまっていたのではないか…とふと思う。
商売繁盛を願って1月9日から3日間は「えべっさん」で大混雑になる神社だが、通常のタイミングで訪れると驚くほどこじんまりしたビルの谷間の神社である。もちろん可愛い福娘もオフシーズンには居ない。
この土地にまつわる由来はかなり古い。この地はその昔、都留弥神社(式内社)がまつられていたが、1907年の神社合併により近隣の神社と合併して、この地から東方約1qに移転したそうだ。移転後この土地は民有共有地として保管されていたが、1954年、地元の要請で西宮神社から戎大神を勧請し現在の神社となったとの事。
戎神社としての歴史はごく浅いが、土地の由緒と歴史は驚くほど古く深い。土地の記憶というのは良い意味でも、時には悪い意味でも、容易には消せないものだ?…