あまりにもメジャーすぎてわざわざ…的な知恩院だが、12月31日はさすがに雰囲気が違っていた。巨大な門に巨大な鐘…今ここに自分だけだったらどんなに厳かな雰囲気だろうか?と妄想したがそこは元日、とんでもない人の数であった。
早朝あたりに行くと、時代劇さながらの風情が味わえるかも知れないが、人の多さが何とも惜しい寺。
北野天満宮・平野神社・上七軒とビックネームばかりのエリア。住宅街の中ほどにあり、これらの有名スポットの人の多さがお気に召さない人はこちらに避難したらよいかもしれない。
本堂(国宝)は1227年(安貞1)創建時のままで、京洛最古の古建築との事。正月に訪れた時のお飾りが大変美しかった。
自分が想像する仏教の極楽浄土は正にこのイメージだった。本堂の周りに咲き乱れる蓮の花と紫陽花、雨に煙る本堂とのコントラストは何とも言えない美しさである。はこの時期を逃さず訪れる事をお勧めする。
毘沙門堂の前身の出雲寺は、文武天皇の勅願により大宝3年(703年)行基が開いたという。紅葉の名所だが、身動きが取れないくらいの京都市内とは違い、こちらは山科のためか観光客はそれほど多くない。紅葉に囲まれた弁天堂(右写真)に向かい祈りを捧げている僧侶の姿が非常に印象深かった。
京都御苑の真東に位置する当神社。萩と紅葉の秘かな穴場であるが、他の神社に比べてどこかカラっとした空気感である…と思ったらやはり明治18年創祀、明治維新で功績のあった三條実萬(さねつむ)と三條実美(さねとみ)親子を祭神とするものだった。まだ歴史が浅い雰囲気が境内から伝わる。
古い神社に行くと、歴史の重みが澱のように溜まって独特の空気を作り出している事を感じる場合が多々あるが、またそれとは違う明るい感じの神社だった。
能書きは後にして、まずはこの紅葉の美しさと人の少なさに驚いて欲しい…!石段から降りてくるのは巫女のみ、後はマニアなカメラマンがちらほらいるのみである。日向大神宮は南禅寺で有名な蹴上ほど近くにも関わらず、ほとんどと言っていいほど訪れる人もいない紅葉の名所である。
内宮に天照大神・多紀理毘賣命・市寸島比賣命・多岐都比賣命、外宮に天津彦火瓊々杵尊・天之御中主神を祀っており、なかなかの規模を誇る神社である。それにしても巫女はどうしてこんなにも美しく見えるのだろうか。ちなみに神職と違い巫女に資格は必要ない。男女雇用機会均等法の適用外なのはもちろん言うまでもない。
「深草の 野辺の桜し 心あらば 今年ばかりは 墨染めに咲け」。平安時代、上野峯雄が藤原基経の死を悼み「墨染めに咲け」と歌を詠んだ際、桜が本当に薄墨色になったとのことから墨染桜寺と呼ばれるようになった。境内にはまだ若い三代目の薄墨桜があるが、写真で咲き誇っているのはソメイヨシノ。
駅近くの商店街の只中にあり、周囲はアパートに囲まれている。カメラマンには有名な名所らしいが足を運んだ日もほとんど人はいなかった。
観光客もあまり訪れない場所だが、紅しだれ桜の超超!穴場である。拝殿や末社を覆いつくすほどのみごとな咲きっぷりと鳥居の赤のコントラストにはため息が出るばかりである。水難火難除けの神として知られ、もと上京区上天神町にあったが堀川通の拡張により昭和27年現在地に移転したとの事。
いわれはさておき、ここの紅しだれの美しさは尋常ではない。遠方から来た方にここを案内したらきっと「通だね!」と思われる事請け合い。なおちょうど良いベンチが沢山あって歩きに不安がある人でもゆっくり出来るのも魅力なスポット。
さざんかが咲く苔蒸した参道を歩いて見えてくるのは、大変特徴のある本殿である。数段高い所に設けられた本殿の回りを、身長よりも低い塀が取り囲む。その背後には高い樹々が取り囲み何とも幽玄な雰囲気である。
この雰囲気のために、時代劇のロケ地の常連になっていると社務所の方が教えてくれた(それにしても神社横の社務所も、びっくりするような茅葺屋根のたたずまいである…)創祀は711年と歴史も深い。
本当に美しい神社で、亀岡に来たら是非訪れてほしいお勧めの場所である。