日本書記にも記述があるという古社で、平城宮跡の東はずれに位置する。遮るもののない跡地にあってここだけは鎮守の社が発達している。本殿は室町時代創建で重要文化財。遷都1300年祭でここにも観光客が押し寄せるのだろうか。
狛犬が内蔵されているような造りの燈籠は初めて見た(写真参照)。それにしてもこれは正直読めない…
●鳥居 ●特徴ある燈籠 ●本殿(重要文化財)富雄川の杵築橋からまっすぐに伸びる参道が水田の青の間を縫って非常に美しい。ネット上でも珍しく情報が出て来ないのが不思議なくらい拝殿・本殿共に非常に立派。拝殿が若干左右非対称な所はご愛嬌である。
訪問した時も、近所の方なのか、人生の先輩方が社務所に寄り集まっていた。拝殿も地元の集会所のような造りになっていて何ともアットホーム。
境内の姿の美しい松といい、背後の鬱蒼とした森といい、住宅地の中でよくぞこの雰囲気を保っているものだと妙に感心した。
●二の鳥居 ●境内から参道を振り返る ●拝殿@(本殿は拝殿後ろに写っている) ●拝殿A
西大寺周辺の神社は十五所神社、八幡神社、石落神社とあるが、この神社は少し変わり種。普段は横の「野神堂」という集会場として利用されており、一見した所単なる公園として見過ごしてしまいそうである。
しかしこれがなかなか味わいのある空間であり、満開の桜の下で神社と観音様が仲良く並ぶ様は、本当にほのぼのとしている。集会場に掲げられていた標語「考えて!ぼくらが育つ環境を」…本当にそうだ。将来の子供たちのためにも我々大人は、こういった日本の良き伝統を遺して伝えていかなければならないのだ。
●普段は集会場である ●ご神木 ●桜が美しい神社全景
御前池を挟んだする東側に佐紀神社(西畑)という同名の神社がある。拝殿の形や、神社の持つ雰囲気も非常にそっくりである。何故わずか100メートルの範囲内で同名神社があるのか定かではないが、西畑から分祀されたのが、この亀畑の佐紀神社であるらしい。
池の東側には釣殿神社、西側には「護摩堂」と言われる祠もあり、何故こんな多く神社が必要とされたのか、非常に不思議である…。
●本殿の写真はこちら ●鳥居 ●神社西側・護摩堂と言われる祠
推古天皇15年(607年)に菅原池(現在は蛙股池と名前を変えている)の守護神として祀られたのが始まりで、もちろん祭神は弁財天(正式名・市杵島姫命・他に菅原道真、野見宿弥)。池の突き出た地形の高台に位置し、池を一望できる桜の名所。ネットで検索した所、この池が日本最古のダム(?)とされていたが審議のほどはいかようか。
池のほとりと言えば釣殿神社も似たような立地であったが何か独特の雰囲気が弁財天にはある。この日も御老人がひとり、神社のベンチに座って桜と池を眺めていらしゃった。春の気候のせいか何なのか、何となくけだるい空気感であった…
●境内全景・折れた御神木も見える ●本殿 ●鳥居 ●桜が美しい神社遠景 ●由緒由緒書がないため詳細不明だが、かなり神域は広く、参道が奥まで伸びる。大正10年の記銘がある二の鳥居をくぐると、割拝殿が見えてくる。
地元住民の寄り合い所的な存在らしく、拝殿中には時計が掲げられている。また誰かの忘れものだろうか、ダンディな帽子がそっと置かれていた。
立地的に、上記の菖蒲池神社と目と鼻の先であるが関連性は分からない。
●一の鳥居 ●二の鳥居 ●拝殿内部
平城宮跡の南側に位置するこの神社。詳しい事は全く分からず地図上の情報のみで訪問。なんと南京錠が入り口に掛っており、中に入って拝む事は叶わなかった。
しかし無理やり覗くと、こじんまりとした素敵な本殿と摂社が垣間見えた。休日は神社も「御休み」なのだろうか。ちなみに北野天満神社から東へ徒歩5分程度。
●おそらく本殿
不謹慎ながら古墳パラダイスと命名したくなるほどの巨大古墳密集地帯である。この八幡神社の北側背後も「神功皇后陵」で、もちろん祭神も神功皇后(気長足愛媛命)。
素晴らしく手入れされた境内を見ても、本当に信仰篤いエリアである事が分かる。この日も「祓所」に丁寧にお参りしている地元の方がいらっしゃった。
なお、神功皇后陵の横を通り、秋篠寺・八所御霊神社に至る「歴史の道」は、緑豊かで是非訪れて欲しい散策コースです。
●鳥居と階段 ●本殿 ●祓所 ●祭神一覧 ●神功皇后陵
上記の山陵八幡神社のすぐ東側に位置し、扱いとしては摂社になるかと思われる。森にへばりつくように鳥居が連なっているが、奥行きはそれほどない。しかしこちらも八幡神社同様良く手入れされており、狐の置物が沢山奉納されていた。平城駅から、近鉄京都線で京都方面に向かう車窓からも、この鳥居を良く眺める事が出来る。
●可愛らしい社殿
秋篠寺の南門すぐ横にあり、同寺の鎮守である。祭神は崇道天皇ほか7柱。だから「八所」なのだろう。近所の方が「中臣鎌足を祀ってるねん」と教えて下さったが、由緒には名前が記載されていなかった。ただ確かに藤原氏にゆかりの名前が祭神として多く列挙されていたのは確認出来たのだが。
箒で掃き清められた白砂利の掃き目が非常に美しく、荒らさないよう細心の注意払ってのお参りとなった。なお秋篠寺の境内に、15社もあろうかという末社を合祀した施設を発見。本来であれば、神社境内にあるのが正しいと思うが、もはや寺と神社の境目はあまりないのだろう。
●拝殿(ほうきとちりとりが転がっています) ●本殿 ●秋篠寺内の末社 ●秋篠寺との位置関係