ならまちの中心部に位置する。元々は元興寺境内に平城天皇の時代に創設された由緒ある神社。火事などに見舞われ今の規模にまで衰退してしまったようだ。境内にはいかにもな陽石が堂々と鎮座。由緒書によると勝負の神様として篤い信仰を受けているとの事。この神社、ちょうど十字路の角にあり視覚的にもなかなか面白味がある。道祖神は道の辻・三叉路などに主に石碑や石像の形態で祀られる神との事。なるほど、この立地になんとなく合点がいった。
奈良駅からほど近く、やすらぎの道にほど近い当神社は大神神社の摂社である。本殿は一間社春日造、檜皮葺の社殿を南向きに三殿並列させたもので、近世初頭の形式を伝える建物として県の指定有形文化財に指定されている。本殿左側には父神の狭井大神、右側には母神の玉櫛姫命、中央にヒメタタライスズヒメ命と、一家総出でずらっと並んでいる。覆いがされていて少し見にくいが、壁画の装飾などもよく観察する事が出来る。
拝殿はスケルトンだし、全体的にあまり味わい深い印象はないからっとした境内。ちなみに近くには「率川」という川がきちんと流れているが、近年暗渠化されてしまい、その面影をとどめるだけのエリアもある。
この神社、何にも書かれていないので名前がさっぱり分らないが、地図によると「恵毘須神社」のようだ。一見したところ映画村のセットのような独特の赴き。何となく「本物感」がない。住宅地のかなり入り組んだ所にあるが、「もちいどの夢CUBE」周辺を歩いていれば、いつかは辿りつけるだろう…。他の方のHPによれば、春日大社境外末社との事である。
大和国・山背国の国境を越える古道「歌姫街道」(現在は751号線)のすぐ横に鎮座する。この歌姫街道、古来は「下つ道」と呼ばれ、現在も平城宮を南北に横断し京都に抜ける事が出来る便利な道路となっている。当社があるあたりはレトロな雰囲気が漂っているが、格好の抜け道としてトラックの往来が多く注意が必要。しかし一歩神域に入ると燈籠がずらりと並び、静寂に包まれている。
菅原道真公の有名な歌「このたびは 幣もとりあへず 手向山 もみじの錦 神のまにまに」はこちらの事。きっと多くの人が、道中の無事を願って旅中に立ち寄った事だろう。
祭神は、速須佐之男命 (配祀)櫛稻田姫命 武乳速命の三神。
仁徳天皇が亡くなった皇后を偲んで建立したと由緒にある。葛城磐之媛の古墳は、北に少し歩くと見えてくる巨大な前方後円墳である。実はこの周辺、絶好の散歩コースなのだ。
特に当社の東にある大きな「水上池」は野鳥も生息し、古来の雰囲気を思わせる。一説によると約2000年前に作られた人工池ではないか、とも言われている。【参考HP】大和西大寺駅を降りて、佐紀エリアを散策し、この水上池あたりを神社をながめつつぶらぶらすると、本当に清々しく古代の雰囲気を楽しめる。平城宮の人の多さがお気に召さない人は、是非こちらの観光をお勧めする。しかし喫茶店が一軒もないエリアなので要注意。
喜光寺は、行基菩薩が養老5年(721年)に創建したお寺。菅原天満宮から歩いて3分ほどで、良い散策ルートである。現在は「蓮の寺」として知られ、夏には200鉢の蓮が咲き誇る名所となっている。
ちなみに南大門は、2010年5月に、社寺建築の金剛組によって新たに建造された。西暦578年創業の、超!伝統を技を間近に見る事が出来る。柱のかんなの削り跡がはっきり分るのも面白い。良い寺院でのんびり出来るのだが、阪奈道路が眼前にあり景観の悪さがなんとも悲しい…これではわざわざ訪れた観光客をがっかりさせてしまうのではないか。
現在は跡かたもないが、郡山城の北側にかつて「植槻寺」という寺院がありその鎮守とされている。訪問した際はちょうど秋祭りの最中で美しい飾りや花が添えられ氏子で賑わっていたが、普段はかなり静かな神社だろう。一見すると寺院のような佇まいで、すぐ横を走る近鉄電車や壁のカーブ具合がマニア心をくすぐる風景。ちなみに車窓からも当神社が見える。
本殿は流造で見る所かなり古そうだが、建築年代は不明。ここの見どころはなんと言っても植槻坐魚名神社「別名:金魚神社」!金魚の町郡山に相応しい神社だが、倒壊寸前なのが若干気になりいつもよりお賽銭をはずんでその場を後にした…。
●かなり古そうな本殿 ●拝殿とハッピ姿の子供 ●傾く金魚神社 ●左から浅間神社・春日神社・天照皇太宮・三輪神社・植槻坐藤原神社 ●摂社・八幡神社
ならまちのほぼ中央に位置し、大きな鳥居が美しく目を引く御霊神社。訪問の日も雨に濡れて赤の鳥居と黒の拝殿が大変美しかった。八神の霊(早良親王・藤原広嗣など)を鎮める為に建てられた神社で800年創祀と伝えられている。たたり神を祀る神社である…その割に、ここの狛犬の顔があまりにもどれもユーモラスなのである。鳥居横の1対と、摂社の出世稲荷神社の1対がそれである。
特に後者の狛犬は濃い化粧が施されているが普段あまり見かけない出で立ちだったのでかなりの違和感であった。しかし、この狛犬達の顔を眺めていると、良い意味で力が抜けてくるのは何故だろう。
薬師寺の鎮守で、889年に宇佐八幡宮より勧請、現在の社殿はなんと慶長8年(1603)の建物で「脇殿」が両脇に配置されている珍しい建築。重要文化財に指定されているが、薬師寺見物の後、こちらに立ち寄る観光客は少ない。本来は当八幡宮をお参りしてから薬師寺に参拝するのが正しい、との事。
両側の「座小屋(寺僧の加行場や宮座の座衆が座すところで)」も、社殿と同時期の建築でこちらも非常に重要な建築物。
個人的な見どころとしては、参道に近鉄電車が横切っている事。常夜燈と車両のコントラスト見ていてとても面白い。この辺りの散策は用水路に魚が泳いでいたり、小さな神社との出会いがあったり、とかなりおススメ。
薬師寺のすぐ東側に位置し、池と川に挟まれた立地に建つ。名前の由来など一切不明。このあけっぴろげな参道といい、なかなか明るい入りやすい雰囲気で素敵な神社である。三間社・切妻造・銅板の社殿もかなり立派で、江戸時代前期のものと見られている(参照HP・25番参照)。張り出した松と鳥居の感じがバランスの良い構図を生み出している。おススメ。