奥明日香「栢森(かやのもり)」集落の坂を登っていくと見えてくる。祭神は加夜奈留美命。記紀には名が登場せず『出雲国造神賀詞』に記述がある女神であり、飛鳥坐神社にも祀られている。地元の方によると「ここの神様は大変な美人で有名なので、お参りするときっと綺麗になれますよ」との事!式内社に比定されてはいるが、100%かどうかは分っていない。「栢森(かやのもり)」=「加夜奈留美(かやなるみ)」というわけである。
ここの雰囲気はとても素敵である。歴史情緒あふれる集落の中に建ち、今は使われていないシーソーが美しい苔を子供の代わりに乗せている。観光客で奥明日香まで訪れる人は少ないのでかなりの穴場。摂社もあったが全て祭神が不明であった。…にしてもとても癒されます。
奈良市で一番古い市場「椿井市場」。前を通り過ぎてもここがかつては賑わっていた商店街だとはだれも気付かないだろう…現在はほとんどが廃墟のような状態になってしまい営業店舗は数軒、ある意味「ディープスポット」で、写真を撮りに来る人もいるような場所となっている。しかしこんな中にも人々の生活と信仰の息遣いが感じられるのである。なんと美しい神社がこの市場には2社も鎮座しているのである。
「正一位五社稲荷大明神」と、名称不明の神社がそれである。朱塗りの新しさが、住民に大事にされている事も物語っているが、周辺の老朽化とあまりに対照的である。是非通り抜けてみると、異世界に行った気分になれるスポットです。
ならまちの南、南魚屋町バス停の前に鎮座する、角地に建てられた神社。祭神や由緒など全く詳細不明ながら、ちょっと不思議な神社である。神社の東側に謎の建物と看板が…「福神・冨久神社」とある。これによって「冨久」=「福」である事が分った。がこの建物はなんなのだろう?一体中には何が…?昔ながらの生活空間に鎮座しているだけに、色々と興味をそそられる神社である。この一体は町屋建築もまだ残っており、散策にも楽しいエリアである。
「もちいどのセンター通り」は地元の人にも観光客にもおなじみの商店街だが、南に歩いていくとちょっとした広場があり、その奥にひっそりと神社がある。弘法大師が吉野の天川村の弁財天を興福寺に勧請した際、この町にも勧請したという由緒ある神社。
ほとんどビルに内蔵されていて、このビルが建て替わる際には、また大きく姿を変えるものと思われる。元々はもっと神域は広かったのだろうが、こういう形でも残り信仰を集めている姿を見ると、改めて奈良という土地の奥深さを感じる。「よくぞ生き残ったものだ」と思わずにはいられない。
「もちいどのセンター通り」沿いのブティックの横に、突如だだっぴろい空間が出現する。これは「春日大社・大宿所」と言って、昔、おん祭(現在は12月15日に行われる)に参勤する大和士がお祭に先立ってここに泊まりこみ、精進潔斎をした場所。大宿所祭に先立ち、前庭にて御湯立や懸物が見られるとの事。
なお、この大宿所の隅には「大福稲荷神社」という小さな祠がある。ほとんど使われていないのではないかと思いきや、「お火たき祭」(商店街ブログより)という商店街の繁栄を願う祭りが12月8日に毎年行われているらしい。しかしこのシンプルさと蔦のからまり具合はどうだろうか…?ちょっと裏を覗くと突如としてこういう風景に出合えるのも、奈良の魅力のひとつである。
武甕槌命・姫大神・経津主命・天児屋根命を祭神とする。元々が春日社のため、燈籠などには「春日社」の文字が見えるし、祭神や建築様式ももちろん春日仕様である。鳥居も、春日若宮から1848年に下げられたものらしい…良く運んだものだ。拝殿は奈良では珍しい萱葺屋根である。そのためか、妙に落ち着く空間でちょっと座ってお茶でも飲み出したくなる風情である。
しかし裏に回ると一変、神々しい雰囲気の本殿が登場する。明治39年築造の春日造りの立派な本殿は、千木も高々として、大変美しい。その足元に小さなお地蔵様がいらっしゃった…何とも和む空間である。ちなみに有名な田んぼの中の赤い鳥居は、二の鳥居よりだいぶ離れた所にある。山の辺の道で一番のオススメです。
祭神は武甕槌命・経津主命・天児屋根命・比淘蜷_で、上記の夜都伎神社と同じ春日4神。でも五社神社。山の辺の道にあり、衾田陵近くに位置する。何が良いってこの神社、公園みたいではないですか?当たり前のように三叉路にたたずんでいるが、こういう雰囲気は奈良ならではである。そして社殿も小規模ながら姿が美しく、千木も高々としていて格好良い。しかし裏はすぐ住宅地である…毎日この社殿を拝めるとは羨ましい限り。大変綺麗に清掃されていたのも印象的だった。
大神神社摂社であり、同じく三輪山を御神体としているため、拝殿、本殿がない。三つ鳥居が背後の森の手前に鎮座するのみである。祭神は、天照大御神 、伊弉諾尊、伊弉册尊 (摂社・豊鍬入姫命)の4柱。こちらは本当にすさまじい神社である。由緒正しいのはもちろんだが、漂っている雰囲気が尋常ではない。鈍感な人間でもここが特別な土地である事がきっとわかるくらいである。ちなみに三つ鳥居は三輪鳥居とも言い鳥居の種類のひとつだが、年代や由来については不明。
こちらからは大和三山が一望できるビュースポットでもある。神社前に少々の食事処もあるので、山の辺の道の休憩ポイントとしても使えそう。そういえば、檜原神社の近くに「三気大神」なる神社もあったが…不思議な神がたくさんいらっしゃるエリアでもあるらしい…。
平城宮跡の南西に位置する神社で、成立年代など詳細は不明。祭神の「廣額命」は舒明天皇の事で、息長足日広額天皇(おきながたらしひひろぬかのすめらみこと)と書かれる事が多い。先代は推古天皇で、最初の遣唐使を派遣した天皇としても知られる。何故この場所で舒明天皇が祀られる事になったのかは不明だが、おそらくそうとう古い歴史がある神社なのではないだろうか。
本殿を覆っている覆屋は、あまり周辺では見る事がない珍しいタイプ。回りの風景もまだ集落の雰囲気が残っているエリアである。
この辺りには「春日神社」「北野天満神社」「横領天神社」「大将軍神社」「皇大神社」など神社多発地域である…なぜこんなに奈良は神社が多いのだろうか。
延喜式にも登場する神社…だが、行ってビックリ大変小さな神社である。天武天皇6年(678年)に十市皇女を、天武天皇10年(682年)に氷上娘を「赤穂」の地に葬ったと日本書紀に書かれており、その赤穂としてこの地が有力とされている。そのため、女人守護の神社としても有名のようだ。式内赤穂神社のWikipediaはコチラ。
祭神の「天児屋根命」は藤原氏の氏神様。もちろん赤穂神社近くの春日大社にも祀られている。ちなみに、当神社の横は春日大社宮司の職舎、近くには寮もある。宮司の生活の方にも若干興味がそそられる…。この「高畑エリア」は、かなり昔の風情の残る情緒ある地域。ぜひ散策におススメしたい。