レトロな柳町商店街の南端に位置し、目の前には銭湯や料理旅館もあり、城下町の風情が色濃く残る一角にある。銭湯入って少しお酒飲んで(失礼のない程度に…)、そぞろ歩きで立ち寄ったらさぞかし良いだろうな、と想像が膨らむ。社務所から可愛い男の子が飛び出してきて「こんにちは!」と元気に御挨拶。地元密着な清々しい情景にこれまた感動。
東大寺大仏の鋳造が完成した天平勝宝元年(七四九年)に創建とあるが、郡山城築城の折にこの地に遷宮されたようだ。こじんまりしているのかと思いきや、摂社が7つもありなかなかの見応えである。その中に「常陸神社」という摂社を発見。由来は良く分からないが、常陸国出身としては見逃せない。他に春日神社・稲荷社の定番から金毘羅神社まで。
●鳥居 ●拝殿 ●本殿と摂社・金毘羅神社 ●由緒 ●摂社(左端が常陸神社)●摂社・稲荷社
大和郡山駅から徒歩10分、源九郎稲荷神社(下参照)の参道の入り口付近にある。おそらく隣の「西方寺」の鎮守なのだろうか?
地図で是非確認していただきたいが、建物は北向きに確かにあったはずなのに、地図上では何故か西向きにある事になっている。しかも北側裏には「蛭子社」というもうひとつの神社があった事も地図より判明。色々と不思議が残る神社である。しかし燈籠には、城下町らしく時代劇のような店の名前も見え地元の人に題字にされている事が伝わる。
社殿と鳥居のバランスがとても取れていて小さいながらもとても美しい。
●燈籠
詳細はWikiに非常に詳しいので由来などはそちらを参照。「源九郎」とはもちろん義経の事で、この神社にまつわる伝説が色々と残っている。お稲荷さんというのは、何故か日本人の心に訴える物があって、昼間は良いが夜は勘弁願いたいドロンとした雰囲気。こちらの狐もなかなか迫力があった。
当神社は日本三大稲荷を名乗っているらしいが、日本全国に三大稲荷は実は山ほどある。
当神社の近辺はかなり古い建物が残っており、城下町の雰囲気を存分に感じる事が出来る散策スポットである。ちなみにこちらの神社に程近い和菓子屋には「源九郎餅」という和菓子があり、これがとても美味しいので、是非お試しを。
天平時代の薬草園にお迎えした事が由来の当神社。庭園のような風情の境内には、今でも薬草と共に効能が記載されている札が刺さっており、これを眺めているだけでも楽しい。しかし神門といい、江戸時代創建の拝殿といい、青空に映える黒いシルエットは圧巻の格好良さである。
摂社は6社確認出来たが、そのうちのひとつは海神を祀る「塩竈神社」。大和の内陸で何故に…?あまりに見どころが多い当神社の良さは、是非写真を見ていただきたい。
●進入禁止の表札と鳥居 ●神門 ●神門前の広場・薬草が沢山
●効能付きの薬草・奥は薬園寺 ●ワレモコウと効能
●摂社 ●摂社・塩竈神社
●境内で飼われている柴犬! ●おみくじ(糸を引っ張るとくじが出てくる)
大同元年(806年)に新薬師寺の鎮守として境内南側にて創建された。新薬師寺の横にあり、本殿も1746年に春日大社の第三殿を譲り受けたなかなかの歴史深いもの。しかし新薬師寺の栄光の陰で、訪れる人も殆どなくたたずんでいる姿は実に気の毒。「鏡神社」「比賣神社」「新薬師寺」でひとつの完成品だと思うのだが…。
摂社である祖霊社・比賣神社のミニチュア感がとても素敵である。
近鉄奈良駅から歩いてすぐの当神社の境内には、室町時代、漢国神社社頭に住居して日本初となる饅頭を作った林浄因を祀る「林(りん)神社」がある。狛犬に並んで、でん!と置かれた饅頭がとても可愛らしい。しかし周辺に饅頭屋が1軒くらいあっても良いような気もするが…そういう商売っけのない所は実に奈良らしい。
ちなみに、林さんの子孫は今どうしているかというと…しっかり和菓子屋として大成功を遂げている。塩瀬総本家のHPはこちら
それにしても本当に綺麗に手入れされていて、「アットホーム」な雰囲気のただよう神社である。桧皮葺の本殿は奈良県指定文化財。
まず住所をご覧いただきたい。奈良のこの界隈はかつて陰陽師の居住エリアで、その中に建つ当神社は「陰陽師の鎮守」として大切にされてきた。祭神は天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)。
「宇宙そのもの」を表す神だが、そのスケールの大きさから、かえって庶民の生活には馴染みがなく、このように祭神として祀られるのは珍しい神様だそうだ。
この神社、「宇宙そのもの」の神様がいらっしゃる割には奈良町の住宅街の中にこじんまりと鎮座している。注意深く歩いていないと、見過ごす事必至。
当神社がある「角振町」は、おそらく奈良でも最も人通りの多いエリアである。その一角に、まさかこんな神社があるとは、注意深く歩かないとおそらく気付かないのではないだろうか?
祭神は角振神、父親の隼神(隼人族の祖)の2神を祀っているが、何故この奈良に、九州ゆかりの神様が祀られる結果になったのかは分らない。向かいのモスバーガーはガラス張りになっており、隼神社を思う存分眺めながらハンバーガーを食す事が出来る。それにしても、この地名の由来がこの小さな神社にあったとは驚きである。いかにも鹿っぽい地名ではあるが…。
この小さな神社は、少し変わっている。鳥居に背を向けて社殿が鎮座している。つまり眼前の猿沢池に背を向けている。奈良時代、天皇の寵愛が薄れた事を嘆いた采女(女官)が猿沢池に身を投げ、この霊を慰める為、祀られたのが采女神社の起こりとされる。入水した池を見るのは忍びないと、一夜のうちに御殿が池に背を向けたと伝えられる、とても哀しいエピソードが伝わっている。
…という悲恋の物語のわりには、現在では縁結びの神様として信仰されているのがまた不思議である。池に背を向けている姿は、なんとも奥ゆかしい印象。
ならまちの町並みに完全に同化しているこの神社、とても小さいが江戸時代以前にはすでにあったとの事。八王子社と四之室社の二神を祀っている。明治時代に、一度氷室神社に合祀されたようだが、住民の呼び掛けで、再度この地に祀られる事となった。バケツが常に横に置かれていたり、水で清められた雰囲気は、正にならまちの神社の象徴的風景。見ているだけでほっとする風景である。